
母親と共依存していました
私は30歳になっても、結婚しても、母親と共依存していた娘です。
私の夫がアルコール依存症になってからますます共依存に拍車がかかったような感じでした。
結論から言うと、「共依存はマジでヤバイぞ」と言うことです。
なんでも話せる仲?
母親とはなんでも話せる仲でした。
一緒にどこか出かけたり、LINEはほぼ毎日。いい商品や情報を見つけたらシェアしあう、インスタもフォローし合ってました。
私が結婚してからも母親が私たち夫婦の家に来たり泊まったり、料理を持ってきたり、
逆に私が実家に行ってご飯を食べさせてもらったり、親を頼ったり、てことは何ら当たり前のことと思ってました。
母親であり友達みたいな、そんな仲だったのです。
息苦しさを感じるように
そんな関係にも段々と息苦しさを感じるようになってきました。
- 母親に何でも聞かないといけない気がする
- 母親に言われたことは絶対だと思ってしまう
母親に頼られることはしょっちゅうで、大きなことから小さいことまでとにかく頼まれてきました。
母親の問題=私の問題と言った感じ。
だから自分の問題=母親の問題とも感じていて、何かあるたびに母親に相談することもしょっちゅう。



私は母親の意見を聞かないと何もできないし、
母親も私の助言がないと困る
そういう関係に徐々に違和感というか、疲弊みたいなものを感じていましたね。
娘夫婦の家に乗り込んでいく母親
共依存に気が付く大きなキッカケとなったのが、母親が私たち夫婦の問題に首を突っ込んでしまったことです。
私の夫がアルコール依存症になった時、それを母親に相談した私も悪かったのですが、
母親が家に乗り込んで、私の夫へ説教を始めました。
その時の母親のイキイキした顔が忘れられないんですよね。
母親は私の夫のアルコール依存症を改善するどころか、悪化させました。
なぜなら、母親の助言は全く助けにならなかったから。助けどころか、自分の問題や欲求をぶつけているだけに過ぎませんでした。
- 母親自身が、夫(私の父親)と上手くいっていない
- 仕事が忙しくてイライラ、モヤモヤしている
- 子供達が離れていってしまう不安感
こういうものを全て、私や私の夫にぶつけていただけでした。
母親が普段、自分の夫(私の父)には面と向かって言えないモヤモヤを、私の夫の悪いところ(アルコール依存)を手玉に取って、言いたい放題言えるのは、相当スカッとしたことでしょう。



この時、まだはっきりと共依存だと気づけませんでしたが、
体は敏感に察知したのか、その日、高熱が出ました。体ってほんと正直なんですよね。
同居して改めて共依存に気づいた
夫とは別居することになってしまったので、私は一旦、実家に出戻りさせてもらうことにしました。
その時の母親の態度が忘れられません。
めちゃくちゃ嬉しそうだったので。
「いつでも帰ってきたらいいじゃない」と言った優しげな対応だったのですが、それって私のためだけでなく、
「あなたが帰ってきてくれたら私も助かるのよ。どっぷり依存できるしね・・・」
ということだったのだと気が付きます。
母親と父親の夫婦関係に私が入り込んでくれれば、母親としてはこの上ないほど助かるからですね。
私の父親は寡黙なタイプなので、女性の母親からしたらコミュニケーション不足だと感じているのだと思います。
そのコミュニケーションを補うために、私は存在することになりました。



第二の夫の役割的な?
心底、寒気がします・・・・
自立できない私も悪いのですが、こういう罪悪感も、母親からしたらうってつけのネタだったと思います。
自分の問題に目を向けないから、子供を手放さない
心理学を約4年学んできて思ったことですが、
母親は、自分自身の問題に目を向けたくないから、子供を手放さないんだなと思いました。
私には兄弟がいますが、彼らも母親からガッチリ首根っこを摘まれている感じです。
共依存は互いに依存し合うのが特徴ですが、始まりは親からです。
子供は純粋だし、脳も未発達の頃から洗脳されていくので、抜け出すことができないからです。
母親は自身の問題(夫のこと、仕事のこと)にしっかりと向き合うよりか、子供にズルズル依存していた方が楽だと気づき、絶対に手放そうとしません。
「私は子供の面倒を見ている」と、そこに役割を見出し、子供をいつまでも子供扱いします。
だから子供は自立していきませんし、自立しようとしてもうまくいかずに戻ってきてしまいます。



これが、生きづらさ。これが、巣立ち失敗の罠。
共依存はマジで狂ってる
共依存は気付けないと、いつまで経っても抜け出せません。というか、自分が共依存しているなんてさらさら思っていないからです。



「母親と私は仲がいいだけ。仲が悪い親子なんてかわいそ〜。お互い思いやりがあって私たちは素敵な親子だよな〜。支え合って生きていけば最強だよ」
くらい、むしろメリットと思っています。
でも実際は共依存なので、お互いの問題をすりつけあって何とか生きています。
母がいなくなったら?娘がいなくなったら?という状況がそもそも間違いなんですよ。
それって支え合いではなく、依存だからです。
人は、自分の問題に向き合って自分で道を歩んでいくのが健全です。しかし、それでも手助けが必要な場合、周囲から支えてもらって、生きていくのです。
けれど共依存は、自分の問題を見て見ぬふりしたいがために、最初から問題を全て相手にぶつけます。その代わり、相手の問題をやろうとします。だからおかしくなります。
自分の人生を相手に生きさせながら、自分は相手の人生を生きる、というおかしな状態です。
共依存に気づくために違和感を大事にする
共依存に気づくために、感じた違和感を大事にしていくべきだと思います。
私の場合は、体への反応が顕著でした。
- しょっちゅう扁桃炎になる
- しょっちゅう高熱が出る
- しょっちゅう鼻血が出る
- しょっちゅう疲弊感がある
体は正直ですから。
メンタル面で言えば、「自分って幼いな」と思ったのがキッカケでした。
今、若い子でもしっかりと自立している子と会話してみると、20歳とか思えないような言動なんですよね。(自分が幼稚なだけですが)
そういう人と会話した時に、「あれ?」って思うのが、共依存への気づきの一歩だったりします。


まとめ
親子の共依存はヤバい。共依存は自分の人生を放棄するのと同じことだし、共依存に陥っている時は「灯台下暗し」なので、全く気づくことができない。(むしろ良いものだと思っていることが多い)
子供が共依存に気づいたとしても、親の方が気づかずに続けてくる場合もあるので、苦しい戦いになる。
早めに気づいて、自分の本当の人生を取り戻してほしい。何歳からでも絶対に遅くはない。
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