
色々なものを手放していると、「無責任じゃないか」「嫌なこともするべきじゃないか」といった声を聞くことがあります。
これをお読みの皆さんも、こんなふうに一度は言われた(言ってしまった)ことがあるのではないでしょうか?



楽な道ばかりじゃダメだよ。苦労してこその人生。
みんな我慢して頑張っているんだからね。
好きなことばかりやるなんて、みっともないよ。ダメになるよ。
だから、嫌なこともやるべきだよ!!
「嫌なこともするべきだ」という考えに関して思うところがたくさんあったので、このページで私なりの考えをまとめようと思います。
- 嫌なこともするべきと考えてしまう人の心理は?
- 嫌なことはすべきなのか?しなくていいのか?
- 嫌なことを辞める/ 嫌なことから逃げるの違い
- 嫌なことをことごとく手放した私が感じたこと
こんなところについてお話ししていきます。
嫌なこともするべきと考えてしまう人の心理は?
- 嫌なことをするべき!と考えてしまう根本の心理
- 嫌なことをするべき!と考えてしまう個人の心理
この2つの視点から深掘りしてみていきましょう。
嫌なことをするべき!と考えてしまう根本の心理
「嫌なこともするべき!」と考えてしまう人の心理には、日本人が不安遺伝子を持っているから、ということが一つの理由です。
不安遺伝子は、不安の感じやすさを決める遺伝子です。人は不安遺伝子の多い「S型」と少ない「L型」の組み合わせで、SS型、SL型、LL型の3種に分類できます。
https://sdgs.media/blog/16399/
外国人の多くが「個人」を尊重するのに対し、日本人は「場」を大事にするんだそう。
不安遺伝子を多く持つ日本人は、場から外れたら怖いという不安があります。なので、自分より周りを優先します。
つまり、周りを優先しない人が現れると、寄ってたかって潰しにかかるのが日本人の性質ともいえるのです。



日本は小さな島国で、たくさんの村社会からなり、資源が少なく、災害も多かった。
だから、個人が強すぎると破滅する。
「助け合い」を自己犠牲の美徳で済まさず、周りにも強要することによって生き延びてきた人種なんだ。
現代社会では嫌なことを強いられる人が多数です。だからその多数から外れないために「嫌なこともすべき」と言って、同調圧力を味方につけているのです。
嫌なことをするべき!と考えてしまう個人の心理



楽な道ばかりじゃダメだよ。苦労してこその人生。
みんな我慢して頑張っているんだからね。
好きなことばかりやるなんて、みっともないよ。ダメになるよ。
だから、嫌なこともやるべきだよ!!
こういうふうに言ってくる人の心理を見てみましょう。
- 嫌なことをやめられない自分が許せない(自己否定)
- 嫌なことをしていない人も許せない(嫉妬)
まず根本に「嫌なことをやめられない自分が許せない」というものがあります。
だからこそ、嫌なことをしていない人も許せないのでしょう。



「私ばっかりこんなに頑張ってるのに!!」っていうやつ。
(まわりに頼れず頑張っちゃう自分が許せない)
嫌なことはやめられます。でも、勇気もいるしプレッシャーもあるし、面倒くさいこと。
だから、人は現状維持にとどまります。
嫌なことを「嫌々」と言いながら、そのストレスを嫌なことをしていない人にぶつけるのが一番ラクなんです。
なんなら自己否定もしちゃうよ
嫌なことをしていない=頑張っていない、我慢していない自分には価値がないと思い込んでしまいます。
嫌なことをやめられない自分にも腹が立つし、嫌なことを辞める人にも嫉妬してしまうのです。



嫌なことをすべき!と言ってしまうのを改善するには、「自己否定」のところを掘り下げていくとラクになれるかもです。
嫌なことを辞める/ 嫌なことから逃げるの違い


- 嫌なことを辞める
- 嫌なことから逃げる
この2つに違いを感じたのでお話ししていきますね。比較は下記の通り。
嫌なことを辞める | 自分軸(自分で決めて責任が取れる)能動的 |
嫌なことから逃げる | 他人軸(誰かがなんとかしてくれる)受け身 |
嫌なことを辞める
嫌なことを辞める人は、その後の自分の人生にも責任が取れることです。
例えば、ストレスフルな仕事を辞める、終わりのない家事を辞める、生産性のない友人関係を辞める、という例があったとしましょう。
仕事を辞めればお金は入ってこなくなり、家事を辞めれば家の中が荒れ、友人関係を辞めるとのけ者にされたりするかもしれません。
このデメリットを受け入れられる人こそ、「嫌なことを辞められる」人です。



逃げではなく、自分で「選択した」というイメージ。
嫌なことから逃げる
反対に、嫌なことから逃げてしまっている人は、他者軸です。
仕事を辞めてお金がなく苦しい状態を放置したり、家事を辞めて家の中が大荒れなのに見て見ぬ振りしたり、友人関係を辞めてのけ者にされたらそのことを周りに愚痴ったり…。
「きっと誰かがなんとかしてくれる」と思い込んで、何もしないのは逃げです。
逃げが許されるのは、うつ病などの病気を抱えてしまった人だけだと思います。
嫌なことはすべきなのか?しなくていいのか?
嫌なことはしなくていい。
しかし、嫌なことを辞めるのはOKで、嫌なことから逃げるのはNG。
例えば子育てに嫌気がさした時、辞めることができます。親やきょうだいに頼み込めば見てもらえるかもしれないですよね。
でも、子供を放置することは「逃げ」の道です。
嫌なことをしない=楽な方へ逃げていると考えてしまう人が多いと思うのですが、似て非なるもの。
嫌なことをしないために考えたり工夫したりする人と、全てを放棄した結果までも他人のせいにしている人とでは、全く違うのです。
嫌なことを辞めるために努力でき、嫌なことをやめた後のデメリットもしっかり受け取ることができるのなら、嫌なことは辞めることができるんです。
嫌なことをことごとく手放した私が感じたこと



私の体験をお話しさせていただきます。
今年、私は夫も家も仕事も手放しました。
いろいろ辛い思いをしてきたのは周りも知っているのに、いざ手放していくと、「逃げてばっかじゃダメじゃない?」「家でずっと引きこもるとダメになるぞ」と言われるように…。
嫌なこと辞めたというと「なんか無責任なやつ」と頭ごなしに感じる人が多すぎると思います。
そういう人は、嫌なことをやめた後の責任が全くないと思っている人なんですよね。好きなことばっかりしてちゃらんぽらんしてて、けっ!みたいな。
でも「嫌だけど仕方ない」と言いながら嫌なことを続ける人の方がよっぽど無責任だよって思います。
そういう人ほど「嫌なんだけどさぁ」と周りに愚痴っているからです。
嫌なことを辞めて、自分に合う道を探しハッピーに生きるのが一番いいんですよ。
読み飛ばしOK
- 嫌なこともしろ!→あなたは嫌なことしていて幸せなんですか?
- 嫌なこともしないとダメになるよ!→ダメの定義は?ダメになった時一番困るのは誰?
- みんなもやってるんだから→みんなって誰?みんなやってたら自分もやらなきゃいけない根拠は?
- 自分一人だけ好きなことやって嫌なことから逃げてるのずるい!許せない!→うん、ごめんね。(でも変える気はないよ)
- 嫌なこと放棄して誰が代わりにやるの?無責任じゃない?→嫌なことを嫌々やっている方が無責任です。
嫌なことをやっているほうが無責任の根拠をツイートしてみました
「べき思考」によって負の産物が生まれている。 嫌だけどすべき→ストレス→大量にものを買う→需要があるから大量生産しまくる→環境破壊 べき思考を辞めると「働き手がいなくなる!無責任だ」という人もいるけど、そもそも最初からいらんかったものじゃん。根本問題。
https://x.com/hiro_tebanasou/status/1849261537577619939
まとめ
- 嫌なことをするべき!と考えてしまう根本の心理:日本人の不安遺伝子によるもの
- 嫌なことをするべき!と考えてしまう個人の心理:嫉妬と自己否定がある
「助け合い」を自己犠牲の美徳で済まさず、周りにも強要することによって生き延びてきた人種
そのため、嫌なことを我慢してやっているという多数の思考から外れた人を、寄ってたかって叩く傾向にある。
嫌なことはすべきか?→嫌なことしなくていい。自己責任ならやめてもいい。
OK | 嫌なことを辞める | 自分軸(自分で決めて責任が取れる)能動的 |
NG | 嫌なことから逃げる | 他人軸(誰かがなんとかしてくれる)受け身 |
「嫌なこともすべきだ」という人は、嫌なことを辞める人に対して「無責任」「楽して生きてる」などと思っている。
けれど、嫌なことを辞めることを自ら選択している人はきちんとリスクも承知の上、決断している。
百歩譲って「嫌なことから逃げる」人がいたとしても、それはその人の課題だから全く関係がない。
「嫌なこともすべき」と思う人は、嫌なことをしながら生きてください。それで幸せと感じるならなんの問題もないからです。



「みんな嫌なことやってるんだから」って言われるのがすごく苦しい。
嫌なことを我慢した人が、嫌なことを周りにも強要することが、世の中からなくなればいいのに!って思います。
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