生きづらさ・自分らしくなさを手放すための研究ブログ

34歳になって初めて自分の人生を歩いている

不自由なく育ってきたと思う。

お金はたくさんあるわけではなかったが、ないわけでもない中流家庭だったから。

学校、受験、当たり前のように歩み、短大の頃からどこか崩れてきてしまったように感じていた。いや、もっと早くから崩れていたのかもしれない。

社会生活や人間関係に馴染めなかった。

目次

夫との出会い

夫との出会いが人生で初めてのターニングポイントだったと思う。

バイト先で出会った社員で、私とは正反対の性格。気づけば数年も付き合い、同棲もした。

喧嘩もそれなりにあったが、やり過ごしてきた。

けど、どこかでまた、ズレた。歪んだ。

夫がアルコール依存症になり、みるみるうちに状況が変わっていった。

私は変わらなくちゃいけなかった。「変わってみせた」のかもしれない。

共依存との出会い

アルコール依存症の世話を焼くことを「イネイブリング」と呼ぶ。

同じ池に入っている魚たちは、外の世界を知らない。だから、自分が本当は魚ではないのかもしれない、ということに気付けない。

必死にもがけばもがくほど、苦しくなる。

そんな状況に耐えられなかった。無論、耐えなくて良かったのだ。

本当の自分の狙いはなんだ?

私は、自分自身から目を背けたかった。

自分の嫌いな部分、憧れの人になれない嫉妬心、役に立てない罪悪感、生まれてきた後悔、歩んできた道のり、合っているのか間違っているのか分からない不安・・・

全て、全てから目を背けていたかったんだ。

毒親

何が毒親というものに当てはまるのか、という正解探しに苦しめられた。

神様がいるのだとしたら、どこまでも人を試すんだな、と恨んだ。

自己解離が起きた。自分が何者なのか、全く分からなくなってしまった。

今なら地縛霊が私に乗り移って、操作できてしまうかもしれない。私は引きこもった。(家に霊がいたらアウトだけど)

まだ死ねない

苦しくてもがいた地獄の日々だった。

この時点で、どこか気づいていたのかもしれない。悪いのは他人だけじゃないって。悪いのは自分だけでもないって。だから、やり場のない気持ちの処理に困った。

でもまだ死ねない。死ぬのは単純に、怖い。

だったら、もがいてみるしかない。

捨てろ

私は今、34歳になって初めて自分の足で自分の人生を歩み始めている。

正直、赤子からやり直したいと思った。でもそれは不可能。大人になった体と脳みそで、思考は子供のまま、やり直さなくちゃならない。

自由への希望と、焦りへの絶望が渦を巻く。

そんな日々の繰り返し。

きっと正解はない。

「必要のないナニカ」でガチガチに固められている自分を、解き放つ時が来た。

いらない。捨てろ。そして、自由を恐れるな!

 

世界ってこんなにも静かだったんだね。そして、人ってこんなにも孤独なものなんだなあとも思う。

人間のあるべき姿ってこうなんだ、と感動している。

シェアありがとう

コメント

コメントする

目次