不自由なく育ってきたと思う。
お金はたくさんあるわけではなかったが、ないわけでもない中流家庭だったから。
学校、受験、当たり前のように歩み、短大の頃からどこか崩れてきてしまったように感じていた。いや、もっと早くから崩れていたのかもしれない。
社会生活や人間関係に馴染めなかった。
夫との出会い
夫との出会いが人生で初めてのターニングポイントだったと思う。
バイト先で出会った社員で、私とは正反対の性格。気づけば数年も付き合い、同棲もした。
喧嘩もそれなりにあったが、やり過ごしてきた。
けど、どこかでまた、ズレた。歪んだ。
夫がアルコール依存症になり、みるみるうちに状況が変わっていった。
私は変わらなくちゃいけなかった。「変わってみせた」のかもしれない。
共依存との出会い
アルコール依存症の世話を焼くことを「イネイブリング」と呼ぶ。
同じ池に入っている魚たちは、外の世界を知らない。だから、自分が本当は魚ではないのかもしれない、ということに気付けない。
必死にもがけばもがくほど、苦しくなる。
そんな状況に耐えられなかった。無論、耐えなくて良かったのだ。
本当の自分の狙いはなんだ?
私は、自分自身から目を背けたかった。
自分の嫌いな部分、憧れの人になれない嫉妬心、役に立てない罪悪感、生まれてきた後悔、歩んできた道のり、合っているのか間違っているのか分からない不安・・・
全て、全てから目を背けていたかったんだ。
毒親
何が毒親というものに当てはまるのか、という正解探しに苦しめられた。
神様がいるのだとしたら、どこまでも人を試すんだな、と恨んだ。
自己解離が起きた。自分が何者なのか、全く分からなくなってしまった。
今なら地縛霊が私に乗り移って、操作できてしまうかもしれない。私は引きこもった。(家に霊がいたらアウトだけど)
まだ死ねない
苦しくてもがいた地獄の日々だった。
この時点で、どこか気づいていたのかもしれない。悪いのは他人だけじゃないって。悪いのは自分だけでもないって。だから、やり場のない気持ちの処理に困った。
でもまだ死ねない。死ぬのは単純に、怖い。
だったら、もがいてみるしかない。
捨てろ
私は今、34歳になって初めて自分の足で自分の人生を歩み始めている。
正直、赤子からやり直したいと思った。でもそれは不可能。大人になった体と脳みそで、思考は子供のまま、やり直さなくちゃならない。
自由への希望と、焦りへの絶望が渦を巻く。
そんな日々の繰り返し。
きっと正解はない。
「必要のないナニカ」でガチガチに固められている自分を、解き放つ時が来た。
いらない。捨てろ。そして、自由を恐れるな!
世界ってこんなにも静かだったんだね。そして、人ってこんなにも孤独なものなんだなあとも思う。
人間のあるべき姿ってこうなんだ、と感動している。
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