
自己愛性パーソナリティ障害を抱える(診断はしていない)母親に育てられたアダルトチルドレンです。
ちょっと病んでいる気持ちで、今この記事を書いています。
自己愛性パーソナリティ障害の母親が、「呪い」のような存在だからです。
どうか、このような人たちにコントロール(支配)されたまま人生を終わらせないでください。
共依存していた母親とだけ喋れない
現在の状況です。「共依存していた母親とだけ気持ち悪くて喋れない」と言う症状が出ています。
母親は自己愛性パーソナリティ障害というものを抱えています。(無診断ですが、いろいろな書物を読み漁った結果、この病気が一番しっくりくると判断しました)
最初、自分がうつ病や引きこもりだから他者と喋れないのでは…と思ったのですが、母親以外の人とはなんの変哲もなく喋れてしまうんです。
このように、「自分がおかしいのではないか?」とまず自分を責めてしまうところもアダルトチルドレンあるあるだと思います。
これも母親の支配下にいた時のコントロールの名残りなのでしょう。
絶対に私を逃さないつもりの呪われた家族
毒母から「そんな大きいリュックがあるとすぐに出て行けちゃうじゃない」と心配された。
私が大きいリュックを持っているだけで、この心配ようです。
健全な両親であれば「子供に自立してほしい」と思うのが普通ですよね?
しかし、自己愛性パーソナリティ障害を持つ母親は「この子は私の一部だ!この子は私の面倒を見る係なんだ!」のように無意識に考えているからこそ、絶対に離そうとしません。
- 離れようとすると怒ったり泣いたりして喚く
- 物やお金で釣って逃げないように支配する
というのが、毒親の特徴です。
「子供が自立すると自分が寂しくなる。自分で自分の面倒を見られないから」という体で、自立を拒んできます。ここに「子供の最善を思って」という愛は微塵のかけらもありません。
逃げようとするの鬼の形相で追いかけてくる
自己愛性パーソナリティ障害の母親との共依存を断ち切ると、向こうは必死に関わろうとしてきます。
- 子供が自立しようとすると泣いたり怒ったりして喚く
- 咳き込んだり病気になったふりをして心配させる
- 物や食べ物、お金などで釣って逃げられないようにする
- 今までしなかった挨拶(おはよう、おやすみ、ありがとうなど)を言ってくる
子供が自立しようとすると、上記2〜4のように「健気な母親」を演出してきます。
もともとコントロールのターゲットになった私たちは優しい性格の持ち主であることが多いです。その優しさに漬け込んで、「罪悪感」を引き出そうとしてきます。



自己愛性パーソナリティ障害のありがとうは、「ほら、感謝してあげたよ。だからお前をコントロールさせてくれよ」という嘆きだからです。 とにかく自分の方を向いて欲しくてありがとうって言うんです。 罪悪感を植え付ける天才です。
自己愛性パーソナリティ障害は「あなた」を丸ごと乗っ取りたい
自己愛性パーソナリティ障害の「真似」は病的なものです。(「あの人のバッグ可愛いわ!同じの買っちゃおうかしら」なんて生やさしいものではありません)
私は実際に、自己愛性パーソナリティ障害の母親に真似ばかりされてきました。
- 持ち物(買ったものに敏感)同じものを真似されて買われる
- 発言を真似される(口癖など)
- 態度を真似される
- 生き方を真似される
持ち物も母親が良いと思ったから買うのではなく、「私が持っている(お気に入りそう)だから買う」という感じです。
私が持っていてお気に入りなもの(執着しているもの)が欲しいわけなんですね。
「私という母親がいながら、自分らしさを出しやがって!」→この消化できなさを「同じ物を買って真似る」ことで埋めているのです。
(だから、普通の人の「それ可愛い〜!同じの欲しい〜!」とかは全然可愛いものなんです。)
他にも、私が「大丈夫、大丈夫。」という口癖を真似してたくさん使うようになっていたり、カップ焼きそばにハマっていた時期、母親も真似て食べていましたね。
人生を真似してくるのは気持ちが悪いです
母親の真似の仕方って、好奇心からの真似じゃないから気持ちが悪いんです。
自分の生き方を娘のものと重ね合わせすぎている
だから、真似される側は嫌悪感が強いんですよね。
私は、母親から真似されると「この世に自分が存在していないみたい」と感じてしまいます。
自立しようともがいて、支配から逃れようと必死になって、ようやく「自分らしさ」というものを出しても、母親がそれを真似して「奪って」いくんです。


「奪われた」という感覚がすごく強いです。
だから、奪われたくなくて、部屋には何も飾らない。自分らしさを母親に見せないように必死になっているんです。
自分らしさを見せた途端、奪うからです。


自己愛性パーソナリティ障害には関わってはいけない
自己愛性パーソナリティ障害には関わらないのが一番の得策です。
- 反省するよ
- 絶対治すから
といった言葉でさえ、私たちは信じてしまいます。けれど、嘘なので信じてはいけません。
「治そうと関わってもらえる」ということが相手にとって甘い甘い〜「飴」だからです。
彼らに屈しないための一番の方法は、「自分の言動だけ着目し、彼らから自立し、自分だけのオリジナルな人生を歩んでいくこと」です。
彼らの思い通りに支配されるのはもちろん、「ヤツみたいにはならないぞ!」というのも、結局彼らを意識してしまっていることになります。
「自分がこれでいいと選んだのだから、これで良いのだ」と思えたら100点です。


最後に
少し感傷的な文章になってしまいすみません。取り乱してしまいました。
私がどんなに自立したくてもがいて、どうにか「自分の人生」を取り戻したくて必死になっていても、自己愛性パーソナリティ障害を持つ母親にとってはなんの関係もないのです。
この世には「自分」か、「自分のことを満たしてくれる相手」しかいないようですから。
何より嫌なのは、「前に進みたい」という気持ちを、後ろから思い切り背中を掴んで離さないようにしてくる根性です。
「私より幸せになることは絶対に許さないぞ」と言っているようにも見えるし、
「私を置いて幸せになっちゃうの?私も満たしてよ」と、洋服の裾を泣きながら掴んで離さない子供のようでもあるのです。
私は、「子供のように甘えたかった」です。今でも甘えたいってことはありますよ。
けれど、「母親という子供」が、「置いていかないでよお母さ〜〜〜ん」と泣きながら縋りついてくる感じがして、すごく精神的に辛いです。


夫と子供を作らない選択をしたのも、もしかしたら「もうすでに母親という子供がいた」からなのかもしれません。
とにかく「母親が子供のように重すぎる」という現状から逃れたくてたまりません。だから子供を作るなんていう選択肢すら自分に人生には考えられないのです。
母親のせいにしてグズグズ進まない時期がありましたが、それはもう過ぎました。
けれど、まだ靴の裏から張り付いて剥がれないガムが、床とぺったんぺったん鳴ってウザイみたいな感じで、「もう、こっちとしては剥がしたいんだけど〜なかなか剥がれない!!」という状況です。



ただ、こう書いてみると「無理やりにでも剥がさない自分がいる」のも事実ですね。
冷静に考えると、離れない理由を作っているのも自分なのかもしれません。
ブログって書いているうちに、自分の思いを客観的に見れて自己解決したりするから、やっぱり「ブログを書く」って最高の趣味だなあと思っちゃいました。
まとまりのない文章で申し訳ないですが、本日はこの辺りで!


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