生きづらさ・自分らしくなさを手放すための研究ブログ

「普通」のレールから外れるのが楽しくなってきちゃった

HIIROO(mi)

どう考えても「普通」のレールから外れちゃって生きている私です。

ネトゲやバイトに明け暮れて学校に行かず自主退学した私。

それからも正規雇用されることも望まず生きてきた。この頃から、「なんでみんな同じじゃなきゃダメなんだ」という苦しみを抱えていた。

学校へ行き、受験し、就職し、結婚し、家庭を持つという「アタリマエ」が私にとってはすごく怖かった。

自分もその一部になりたくなかった。

 

結局のところ結婚はしたが、夫のアルコール依存症のこともあり、夫婦生活は長く持たず。

でも、その結果に心なしかホッとした自分がいた。

ようやく本来の自分に戻れるのだと…。

目次

愚痴を言いながら生きていく人たち

たった一度きりの人生なのに、なぜ「嫌だ、嫌だ」と思いながら生きていかなくちゃならないのか。

私の周りには、愚痴を言う人が多すぎた。「嫌だ、嫌だ」と言いながら、何一つ手放そうとしない。

嫌なものを後生大事に持ち続けて、周りに愚痴ったり買い物でなんとなく発散させながら、生きてる。

おかしくないか?苦しくないか?そんな人生…。

周りの人や環境、ましてや国や政治が悪い!とどこか、自分の人生の悪いところを人のせいにしながら生きていくのって、キツくないだろうか。

こんなふうに言い訳を重ねて生きてしまってないだろうか。

「でも」「だって」「できない」

口を開けばすぐにこんな言葉が出てきていた。

過去の私も間違いなくこういう思考だった。でも今思えば、クソダサな思考していたなあと思う。

子供を「熱心に」育てる親たち

昔は、結婚しないの?とか子供作らないの?とかよく言われてきた。それは時代がそうさせてきただけ。産めよ増やせよ、の戦争の名残が残った時代である。

今の時代、結婚して子供を産み育てることがなんら当たり前ではなくなってきている。

むしろ、今ACやインナーチャイルドを学んでいる自分からしたら、簡単に子供産むなよとすら思う。産めばなんとかなると思っている親が多すぎる。もっと教育について学ぶ機会をもち、何より「自分を知る」ということをしっかりやってから産めと言いたい。

親と子供を別々の人間だと認識している親が少なすぎだし、それが良いことなのか悪いことなのかの区別すら全くついていない。

ただ、飯を食わせ、寝る場所を提供し、学校に通わせればいい。子供は勝手に育つんだからと(無意識に)思っている親が多すぎる。

そういう親が子供を育てれば、その子供は必然的に生きづらさを抱える。そうやって、日本の自殺率は増えるのではないか?

もう、今の状況が普通ではなくなってきている。そもそもがおかしい世界にいる。

レールを外れた方が楽しい

心から安定を求める人もいるとは思うが、私はあえて「普通」から外れた方が楽しいのだと気づいた。

親の教育にしろ、学校にしろ職場にしろ、それを理由に人生を諦めなくていい。というか、諦めていい理由にはならない。幸せになる権利は誰だって持っている。

楽しいを追い求めた先が「普通と違う」のであっても、そっちのレールに行く権利だって当然ある。むしろ行ったほうがいい。

ライオンが海の中にいる必要はないし、イカがサバンナにいる必要がないように。適材適所を大事にしていこうよ。

私はもう、「嫌だ、嫌だ」と愚痴りながら生きていくことはしたくない。

「だって」「しょうがないじゃん」「誰だって我慢しているのにさ」なんて言い訳だけ流暢になりながらくすぶっている人と同じ土俵に立っていたくない。

そういう人は、自分の人生を他人のせいにしているだけ。起こった良いことは「自分の努力」だと周りに感謝もすることなく当たり前とみなし、起こった悪いことについては人のせいにする。

 

おそらく、というか事実、私は周辺の職場に全く馴染めない。最近も馴染めなさすぎて辞めてしまった仕事がある。

でも、これで良かったって思える。好きでもなくやりたくもなく、自分が馴染めない場所にいつまでもいて、一体何があるというのだ?

フラストレーションだけが溜まり、ストレスでお金が消えていく。残ったものは何もない。そんな場所にいる必要がどこにあるのか。

逃げた先の自由も、責任も全て自分のものと思えれば、人生はシンプルだ。

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